空想商會

日々の記録。料理やカフェや雑貨の話題が多めです。

人形の家

 ビルの谷間に設けられた駐車場の一角に、その奇妙な店はあった。

 街の中心部を横切る通りに面した駐車場の敷地内である。少し奥まった所に簡素な造りの一軒家が建っていた。駐車場の中に一軒家があること自体が奇妙だが、そこに併設されている店はさらに奇妙だった。

 漆黒に塗られた大きな看板には浄瑠璃人形の顔が描かれ、黒地に白の明朝体で〈人形屋佐吉〉と書かれている。それがその店の屋号なのだった。殺風景なビル街の中で、その店だけが異界めいた妖しげな雰囲気を醸し出していた。

 ☆

 不穏な吸引力のある看板に惹き寄せられて店を訪れた客は、たいてい門前払いを喰わされるはめになる。

 店はめったに開いておらず平日はすべて定休日、週末の数時間しか営業していない上に、ただでさえ少ない営業日もしばしば不定休だったからだ。ほとんどの日はシャッターがぴしゃりと閉まっており店内を覗き見ることもできない。その取りつく島のなさは城門を閉ざした石造りの要塞を連想させた。

 しかしひとたび開店すれば、要塞は一転しておとぎの国の宮殿へと変貌した。

 無数の灯りが外壁を彩るのが開店の合図だ。ショウウィンドウには年代物と思しきビスクドール。ヴィクトリアン調のインテリアで統一された店内には、聖母子像やアンティーク・ジュエリー、そして着物やドレスに身を包んだ美しい人形たちが所狭しと飾られている。

 妖気すら感じさせるほどに危うげな美貌をそなえた人形たちは、時が凍りついたような店内で、童話に出てくる姫君みたいに目覚めの瞬間を待っているように見えた。人形たちを見ていると我知らず時を忘れ、自分まで人形になったような錯覚に襲われた。

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  〈人形屋佐吉〉は文字どおり人形の専門店だった。オーナーは片岡佐吉さんといって、アンティークドール球体関節人形の蒐集家としてその道では有名な人物だ。写真集を出版したり展覧会を開いたりする傍らに店を営んでいたという。

 私はオーナーらしき人を一度だけ店で見かけたことがある。店に置いてある人形以上に寡黙な印象の人だった。話しかけてみようかと思ったが、まだ学生だった私にはその店の商品は高くて買えなかったから、決まりが悪くて話しかける勇気が出なかった。この店のこと、人形のこと、オーナー自身のこと、訊きたいことは山ほどあったのに。

 なので私がこの店の概要を知ったのは、随分後になってからである。その時すでにこの店は畳まれており、そのおとぎの宮殿に私は二度と足を踏み入れることはなかったのだが。

 ☆

 人形の館はいま別の街にあるそうだ。訪れてみたいが少し怖い気もする。

「遠方から客が訪ねてみると店は別の街に移転していて、サーカスのように移動する店を追いかけて行くうち客はいつしか行方不明に…」

なんて物語が頭をよぎる。埒もない空想だけど、あの店自体が九割がた人間の空想の産物なのだから仕方がない。

 第一、こんな文章を書いていること自体がすでに、人形の家の囚われびとである証なのかもしれないではないか。*

(2020.03.07)