空想商會

日々の記録。料理やカフェや雑貨の話題が多めです。

灯籠流し

    お盆といえば思い出すのは、北国の海辺の町の記憶である。

 子どものころ、私はその海辺の町に祖父母と一緒に住んでいた。祖父母はサハリン出身で、終戦時にロシア軍の侵攻を受けて北海道に逃れてきた、いわゆる引揚者(ひきあげしゃ)であった。

 祖父母より前、つまり私の曾祖父母は秋田や宮城あたりの出身のようだが、あまり判然としない。祖父母もその辺を詳しく話さないまま亡くなった。北海道という土地柄、人のルーツを軽々に話題にすべきじゃないという暗黙のマナーがあったのかもしれない。それとも単に、聞かれなかったから話さなかっただけか。

 ルーツはその気になれば戸籍を遡って調べられる。しかし祖父母の心境については、今となってはもう分からない。

 

 お盆の記憶は、夏休みの解放感を基調としながらも、仄暗い陰影を少しだけ宿して私の心に刻まれている。

 盆踊り会場から聞こえてくる北海盆唄の、哀愁を帯びた節まわし。仏壇の前に飾られた、回り灯籠のような盆提灯。終戦を待たずに亡くなった、大叔父の若々しい遺影。

 そして、近所の川で行われていた灯籠流しの風景がある。

 灯籠流しは送り火の一形態で、死者の魂を弔うための灯籠を川に流す行事だ。京都や広島のものが有名だが、私の住んでいた町でもささやかな規模で行われていた。

 さして大きくも美しくもない川が、その日ばかりは幻想的な異界に変わったものだ。

 無数の灯籠が水面にゆらめき、ゆっくりと河口へ向かって流れてゆく。ささやかな規模といえども、その数は数百はあっただろう。橙色のロウソクの火と、漆黒の川面との対比が、子供心にも妖しく美しく映った。

 川辺には、浴衣姿ではしゃぐ子どもとその親たち、肩を寄せ合う恋人たち、数珠を手に合掌する老人たち。目の前を通り過ぎてゆく灯籠。あの光景は、いま思えば、まさに人生の縮図だった。

 

 今はもう、その川で灯籠流しは行われていない。環境への配慮か、人口流出と予算不足のためか。あるいはその両方のためかもしれない。

 祖父母と住んでいた家はすでに取り壊され、仏壇は叔父へ引き継がれた。なので私には継ぐべき遺産も因習もない。私はその自由な境遇を大いに楽しんでいるが、それでも毎年お盆になるとあの町の光景を、川面に浮かぶ無数の灯籠のゆらめきを思い出す。

 デジタルカメラスマートフォンもなかった時代、かつて栄えた斜陽の町の失われつつある記憶である。*

(2020.08.15)

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