空想商會

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『なおみ』谷川俊太郎・沢渡朔

★作品の内容に言及しています。

◼️『なおみ』谷川俊太郎(作)沢渡朔(写真)(1982年/2007年復刊/日本/福音館書店

目次

 

1. 昭和レトロな写真絵本

子どものとき読むのと大人になってから読むのとで、これほど印象の違う絵本も珍しい。

私がこの絵本とはじめて出会ったのは、この本に出てくる〈わたし〉と同じ年頃のころだ。時代はまだ昭和だった。高齢の先生が一人で開業していた小児科病院の待合室に、この本は置かれていた。

院長先生と同じく建物も年季が入っており、玄関は手動の引き戸で、待合室は狭く、現在の感染対策の基準から見れば完全にアウトな造りだった。それでも万事大ざっぱな時代のこと、風邪をひくと私は決まって家から近いその病院に連れていかれた。

待合室に置かれた本棚の中にこの絵本は押し込まれていた。すり硝子の窓から差しこむ黄ばんだような光のもとで私はこの昭和レトロな絵本を読んだ。

 

2. 衝撃的なトラウマ絵本

初めて読んだとき、あまりに衝撃的な内容に私はひどく驚いた。それは私が知っている児童向けの本とは全く異質なものだった。写真集のような体裁もさることながら独特だったのはその内容だ。

登場人物はふたりだけ。6歳の少女の〈わたし〉と日本人形の〈なおみ〉である。ふたりは仄暗い古びた洋館に住んでいる。なぜか大人の気配は全くしない。まるで世界にこのふたり以外誰も存在しないかのようだ。

〈わたし〉となおみは時に喧嘩もするけれど、唯一無二の親友である。一緒に絵本も読むし、一緒にお茶を飲んで、一緒の布団に入って眠る。しかし、ある日突然なおみは高熱を出し〈わたし〉の祈りの甲斐もなく死んでしまう。

なおみが死ぬという驚愕の展開にも、黒い棺に入れられた日本人形の写真にも、子どもを震えあがらせるだけの強烈なインパクトがあった。私はすっかり怖くなって本を閉じてしまった。

 

3. 福音館書店の復刊絵本

その後も病院に連れていかれるたびに怖いもの見たさでページを開くのだが、やっぱり怖くて同じところまでしか読めなかったのだった。

やがて親の転勤でその土地を離れたため、その病院に行くこともなくなり、物語の結末を知ることのないまま二十年以上の歳月が過ぎた。

この本が福音館の「日本傑作絵本シリーズ」のひとつとして復刊されていることを知ったのは、結婚して子どもが生まれてからだ。作者が現代日本を代表する詩人の谷川俊太郎と、『少女アリス』という傑作写真集で知られる写真家の沢渡朔であることもその時に知った。

めくることのできなかったページの先には何があったのだろう…。

好奇心に負けて本を手に取り再読した。そして読み終えたあとで思わず溜め息をついた。描かれていたのは子どもの頃に抱いた印象とは全く異なる幻想的な風景だった。

 

4. 幻想世界のドール絵本

幼い私の目に古くて不気味と映った洋館は、アンティークと呼ぶにふさわしい趣きを備えていた。なおみは純粋な市松人形というよりは、ビスクドール球体関節人形に似た妖艶な顔立ちをしていた。

人形と戯れる少女の姿はたしかに異様だが、それは和風 Gothic & Lolitaとでもいうべき世界観であり、誤解を恐れずに言うならば、ある種のエロティシズムを感じさせるものだった。*1  幼い私が異質と感じたのも無理はない。

そして、ストーリーも私の記憶とは全く違うものだった。昔の私にはなおみが死んでしまった理由がわからず理不尽としか思えなかったのだが、大人になった今ならわかる気がする。

なおみは何も変わっていない。変わったのは少女の方だ。急激に成長を遂げたため、もはやなおみと一体化するのが不可能になったのだ。それと自ら気付かぬままに〈わたし〉は幼年期に終わりを告げようとしているのだ。*2

 

5. 時代を超える傑作絵本

しかし、ひとつの季節の終わりは新しい季節の始まりである。かつて私がめくれなかったページにはそのことが描かれていた。

大人になった〈わたし〉は屋根裏部屋でなおみと再会する。そして「むかしのままのなつかしいなおみ」を自分の娘に与えるのだ。こうして母から娘へと物語は受け継がれてゆく。これまでもそうだったように、これからもずっと。

いろんな意味で子ども向けとは思えないインパクトと詩情を備えた絵本である。復刊によって再読できたのは幸いだった。福音館書店のセレクションに感謝したい。*

(2016/06/26記、2021/11/6更新)

参考:

*1:付け加えるならば、写真担当の沢渡朔は実際に女性のヌード写真を手がけている人だ。代表作『少女アリス』には芸術か小児性愛か議論の別れるような写真も多い。ただし『なおみ』には子どもに見せにくい類の性的表現は存在しない。

*2:或いはなおみの死は、人形にしか関心を持たない孤独な少女が外界に適応するために必要とした儀式だったとも考えられる。自閉症スペクトラムの児童の世界を当事者の内面から美しく描きだした物語だ、とも。