空想商會

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しじみ汁

祖母が健在だったころの話。

昔、私は祖母と一緒に海辺の町に住んでいた。近くに市場があり、祖母はそこで宗八ガレイ、北寄貝、ししゃもなど近海の新鮮な魚介類を仕入れていた。 夏の朝の食卓にはしばしばしじみのお味噌汁が並んだ。

食材は庶民的だけど、なにしろ漁師町だから、都会の高級料理店なみに新鮮なものを私はいつも食べさせてもらっていた。しかも祖母は車にも自転車にも乗らなかったから、家族4人分の食糧をダンボール箱に入れて風呂敷に包み、背中にしょって徒歩で持ち帰るのが常だった。

祖母は大正15年生まれだった。貧家の長女として生まれた祖母は、戦後の混乱の中、夫と子供3人・舅と姑・義兄弟・自分の弟妹、計10人以上の血縁者の生活の面倒をみてきた人だ。しかも親の介護が終わった途端、娘(私の母)が孫(私)を連れて出戻ってきたわけだから、祖母の人生は文字どおり他者の生活を支え続けた一生だったといえる。

祖母には今でも感謝しかない。

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大所帯の台所を何十年も切り盛りしてきた祖母は、料理は余るほど大量に作る主義だった。お味噌汁も必ず余分に作られていたので、私は残ったしじみの処理係を喜んで引き受けたものだ。

しじみのお味噌汁は一年じゅう出てきたけれど、夏の土用の頃のそれは格別だった。網走をはじめとする道東で取れるしじみは臭みが全くなくて、身もふっくらしていてとてもおいしい。

だから大人になってから、しじみのお味噌汁は汁だけ飲んで身は食べない人が結構いるいう言説を知って心底驚いた。また、しじみの名産地とされる本州のとある町でしじみのお味噌汁をいただく機会があったが、臭みが強くてほとんど食べられなかった。ほかの地域を貶めたいわけではないが、北海道のしじみは別格だとひそかに思っている。

もちろん、祖母の料理が上手だったということは言うまでもない。

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祖母の料理は、お世辞にもレパートリーが豊富だったとは言えない。映える盛り付けという概念もなく、安物の大皿におかずがどかんと盛られているのが常だった。全体的に醤油色に染まった田舎料理だ。

だけど、そこにごまかしは一切なかった。「混ぜるだけ」「レンチンするだけ」という類の時短素材を母は好んで使用していたが、祖母がその手の材料を使っているのを私は見たことがない。祖母の料理は単調ではあったが、愚直なほどに誠実な昔ながらの家庭料理だった。本物の北日本の郷土料理だった。

残念なことに、祖母のレシピのほぼ全てが今は失われてしまった。祖母と母との確執のためである。祖母の保守的な生き方に、ウーマンリブ世代の母はずっと反発していて、祖母が繋いできた諸々の事を、受け継ぐより断ち切ることに熱心だった。だから祖母のレシピは母に継承されておらず、私にも伝わっていない。

祖母や母の生き方の是非を問うことは、ここではしない。祖母は伝統に忠実な人だったが、母は伝統と名のつくもの全てを因習として忌み嫌う人であり、私を経済的に自立した女にすることに心血を注いでいた。伝統に抗う母がいればこそ、私は大学に進んで人生を自力で切り拓くことができたのだ。私は母と折り合いが悪いが、その点については母に素直に感謝している。

でも食文化について言えば、これは明らかに受け継ぐべきものであった。しかし祖母が繋いできたものの価値に私が気づき、それを継承したいと願った時には、すでに祖母は鬼籍に入っていた。この件に関して母は役に立たないので(母は極端な偏食で料理というより食そのものが嫌いな人だ)、祖母の味を再現するには自分の記憶を手がかりにするしかない。

幸い、今は本やネットで多くのことを調べることができる。直伝には及ぶべくもないけれど、知識と想像力はその欠如をある程度埋め合わせてくれるはずだ。私の本棚に伝統食の本や郷土文化の本が詰め込まれているのには、そんな事情がある。

あの味を息子に繋ぐことができれば、生前は気苦労の多かった祖母も、あの世で少しは安心してくれるかもしれない。そんなことを思いつつ、今年の夏もしじみのお味噌汁を幾度となく作っている。*

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(2020/8/23記, 2024/7/20加筆)