空想商會

日々の記録。料理やカフェや雑貨の話題が多めです。

保温めし

むかし住んでいた寮の名物料理の話。

私が大学時代を過ごしたその女子寮には、各フロアに約20人の学生が暮らしていた。各フロアごとに共有の台所があり、食事は各自自炊していたが、米だけは共同購入しており、2台の炊飯器で適宜炊いておくシステムになっていた。

つまり、炊飯器のどちらかひとつは常に稼働している状態だった。まずひとつめの炊飯器で米を炊いてそれを食べ、ごはんが残り少なくなったら、新たに米を研いでもうひとつの炊飯器にセットしておく。このようにして24時間、米を食べることができるシステムが構築されていた。

 

私たちの寮の近所にはカトリック系私立大学の女子寮も存在していた。そこの卒業生だと言えば地元の婚活市場で圧倒的に有利になるタイプの大学だ。その寮は厳格なシスターによって管理されており、大学生といえども門限は21時と定められていた。嫁入り前の娘に間違いがあってはならないという、もはや誰も本気にしていないような建前を、平成においても頑なに貫き通している、ある意味とても骨太な寮であった。

一方、私たちの寮に門限は存在せず、玄関の鍵は各自持っていて24時間出入り自由だった。実際、門限があったら私たちの生活は成り立たなかった。少なからぬ寮生が学費の足しにするため夜間バイトをしていたし、寮生の半分は理系だったので実験が始まれば日付変更前に帰宅できる保証はなかった。そして寮生のほぼ全員が何らかのサークルに所属しており、完璧な夜行性の生活パターンを獲得していた。要するに、嫁入り前の令嬢として保護を受ける価値のある女子は私たちの寮には存在しなかった。婚活市場で不利だったことは言うまでもない。

ともあれ、帰宅21時なら早いほうという感覚の私たちにとって、深夜に帰宅しても米だけは炊けているというシステムはすばらしいものだった。インスタントの味噌汁とふりかけさえ常備しておけば、当座をしのぐことはできたからだ。

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ただし、完璧にみえるこのシステムにも落し穴はあった。「保温めし」と呼ばれるものがそれだ。

保温めしとは、炊飯器に米をセットしたときに炊飯ボタンを押すのを忘れて、保温モードのまま長時間放置してしまったときにできあがる「ごはんのような何か」である。一見すると普通のごはんと変わらないが、食べてみるとその違いは歴然で、芯が残っているというか、妙に甘ったるいというか、米として間違った化学変化をおこしていると一口食べてわかるほどの、どうにもならない代物だった。

見た目が普通なだけに、捨てるにはたいへんな罪悪感を伴うため、余計にタチが悪かった。「もったいない」となんとか食べようとするのだが、みんな途中で音をあげた。お茶漬けにしても雑炊にしてもリカバリ不能であり、挑戦者がいなくなったところで泣く泣く捨てた。保温モードが年中入りっぱなしの寮だからこそ起こる悲劇だった。

どんな味つけも米そのものがおいしくないと意味がない、逆に米さえ上手に炊けていれば塩か味噌を添えるだけで満足できる、と骨身に沁みたものだ。

 

年に数回発生する保温めしの問題を除けば、寮にいた間、食事に関して困ったことはない。どんなにお金がないときでも、どんなに遅く帰ってきても、米だけは確実に食べられるというのは実にありがたいことだったと思う。

ただ現在、私は米を炊くとき炊飯器は使用していない。もっぱら文化鍋がわりのステンレス鍋で炊いている。第一の理由はその方がおいしいからで、第二の理由は停電時への備えとしてだが、第三の理由として保温めしに対するトラウマがあることは、完全には否定できない。*