空想商會

日々の記録。料理やカフェや雑貨の話題が多めです。

化粧をしない日

週末に吹雪くというのであわてて冬支度をしました。

まず庭の手入れから。コニファーの雪囲いをして、姫林檎とラベンダーを剪定して。それから食糧の買い出し。お米にパスタ、缶詰に乾物、お茶と珈琲とチョコレートなど、備蓄用食材を多めに購入。

最後に車のガソリンを満タンに。異様な値上がりだなーと思うけれど、背に腹はかえられない。燃料は食糧の次に大切です。

ここまでやってようやく心に余裕ができました。あとは冷凍食品と調味料と医薬品を買い足したらおしまいです。

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一日中家事に追われることがわかっていたので、今日はメイクをしませんでした。

メイクは元々あまり好きじゃありません。面倒なのと、体質的に顔にあれこれ塗るのが苦手だからです。最近の化粧品は優秀なのでだいぶマシになりましたが、それでもメイク落としをおざなりにしてランニングすると、すぐに肌トラブルが起きます。なので、今日のように誰とも会わずに過ごす日はメイクをしないことが多いです。

そもそもわたしは35歳くらいまで、職場に行く時もノーメイクで通していました。当時それは珍しい話ではなく、同業者でメイクをする派/しない派は半々くらい。する人もごく淡い薄化粧であることが多く、マスカラやハイライトを使ったフルメイクをする人はほぼゼロでした。

今ではありえない話ですが、ノーメイクで職場に行くのがステイタスだった時代があったのです。メイクしなくても批判されないのは女性性に頼らない仕事をしている証しであり、特殊な職業の女性にのみ認められた自由であり特権でした。

むしろ職場にフルメイクで行くのは「普通の女性として扱って下さい」というアピールとみなされる恐れがあり、武器にもなるけど枷にもなる諸刃の剣なので、避けるのが暗黙の了解だった気がします。

もっとも、メイクする技術も余裕もなかったというのが実情ではありましたが。

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それから女性の社会進出が進んで、職場のカルチャーもずいぶん変わりました。

今ではわたしを含め、ほぼすべての女性がメイクをしています。20〜30代に限れば、美容部員なみのフルメイクをしてくる人も普通にいて、読者モデルになれそうなほどおしゃれでかわいい子も時々います。20年前には考えられないことです。

「仕事を捨てるか女性らしさを捨てるか」という二者択一から解放され、のびのびやっている若い人を見るのは良いものです。自分もこの世代に生まれていればなぁ、と少しうらやましく思います。

でも、ある後輩は逆にわたしの世代がうらやましいと言います。「仕事か家庭か、片方だけで良しとされたから」だそうです。

制度が整った結果、仕事と家庭の両立は以前ほど困難ではなくなりました。ハードな職に就いても家庭を持てるようになったのは良いのですが、それは「仕事も結婚も子供も手にしなければ勝ったとは言えない」という圧を生む結果にもなりました。

成功のハードルが上がってるので見た目ほどのびのびしてるわけじゃない、というのがその後輩の言い分です。モデルみたいに美人で仕事もできる彼女が言うからこそ、妙に説得力のある言葉でした。

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そういえば、わたしが職場にメイクをして行くようになったのも若者の影響でした。お肌つやつやの20代の子たちがきちんとメイクしているのに、アラフォーのわたしが「ありのままで」はないなと思ったので。

確かに、眉などきっちり描くと「ちゃんと社会に適応してます!」という感じで戦闘モードに入れるので、仕事をするには丁度いいのかもと最近は思うのですが。

でも、休日にメイクをせずに庭に出て素肌に風を受けていると、本能レベルの心地よさを感じます。汗をかけば水で顔をさっぱり洗って、ふかふかのタオルで顔をぬぐうことのできる幸せ。この解放感。

仕事を辞めたら毎日こんな日が送れるのでしょうか。それを幸せと感じるのでしょうか。それとも、戦地に赴くような気持ちでメイクして通勤した日々を懐かしみ、あの頃に戻りたいと思うのでしょうか。

そんなことをあれこれと考えて過ごした、メイクをしない一日でありました。*

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